株式会社稲村屋の歴史


現在の「稲村屋」に至までの歴史を紹介する特設ページです。
このページは「稲村屋」制作ではなく、稲村屋に携わってきました私、「まくぞう」がご紹介してまいります。
「稲村屋」はまず元々今の旅館業ではなく、仕事で広野町に来ていた稲村社長が会社を退職し、出張中にお世話になった広野町で「この辺りでお店をはじめたいな...」という思いから特に大きなプランもなく居酒屋をスタートさせるのでありました。
居酒屋「喰いしんぼう」として1989年(平成元年)にスタートしたのですが、順風満帆にはほど遠い苦労の連続で、何度も辞めて故郷へ帰ろうと思ったそうです。
私はまだ高校を卒業したばかりで、社長とは出会っておりませんでした。
さて、この後稲村屋はどう変わっていくのか...震災でほとんどの資料や写真が失われてしまっておりますが、残された数点の写真と私の記憶をたどりながらご紹介するといたしましょう。

1989年(平成元年)

双葉郡広野町内に居酒屋 喰いしんぼうオープン

こんにちは「まくぞう」です。写真が一枚も残っていなかったので記憶話。当時稲村社長が話していたのはビールとイカゲソしか出さない(出せない)お店だったらしいよ。おなかが空いたってお客さんには、昔おばあちゃんがつくってくれた「とんこつラーメン」をまねてつくったものを出したらこれが「大ウケ!?」おやつがわりにとんこつラーメン食べていたそうだ 鹿児島って不思議。そういや僕らもおやつ代わりにってばあちゃんが焼きみそのおにぎりつくってくれたっけなぁ。

1991年

双葉郡広野町下北迫二ッ沼総合公園総合近くにて、
印度飯屋(カレー店)オープン県内外に数店舗FCとして展開


実はまだ僕たちは出会っていなかった この後カレーハウスからハンバーグレストラン「はいから亭」に変わったときに出会うんだけど、それはここから7年後のお話。だがしかし!僕はこの頃友達とよく「印度飯屋」でカレーを食べていたのでどこかで稲村社長(カレーをつくっていた頃の)と遭遇していたのかもしれませんね。母も実は広野でよくカレーを食べていたと聞いていたので案外この頃から身近な存在だったのかもしれない。

1993年 九州ラーメンおいどん亭オープン

いわき市久之浜町末続 ここでホントにとんこつが売れるのか?

このころの写真はやはり無いので記憶話。居酒屋喰いしんぼうで夜食代わりにとんこつラーメンを提供してきて、ついにとんこつラーメンが陽の当たる場所へ!現在は末続ヴィレッジと称される施設に変わってしまいましたが、以前はそこに「ラーメン屋」があったのです。元々おじいさん夫婦が経営していたラーメン店を年齢も年齢でしたので そのまま使うなら使っていいよ。というお話だったらしいのですが、この店主のおじいさんは「とんこつラーメン」を食べたことも無い代物だったそうです。この頃いわき市というより東北ではとんこつラーメン自体が珍しく 知らない人も多かったため、「まずかったら店は貸さない!」と言われたそうです。結果的にお店を持つことができましたので 見事おじいさんの胃袋をつかんだということですね。めでたしめでたし。

1996年頃

印度飯屋からハンバーグレストランはチャレンジの連続

印度飯屋からハンバーグハウス「はいから亭」に変わって間もなく僕と社長が出会うことになるのですが、この頃の写真は残念ながら失われてしまいました。ただ、ハンバーグハウスといえど「カレーが美味しいからカレーが食べたい!」といったファンの声がありまして、ビーフ100%カレーははいから亭に引き継がれ独自に進化するのでありました。ちょうど僕との出会いは「イベントチラシを出して集客したい!」ということで、私の友人が稲村社長の元で働いていたため友人を通しての紹介で出会うことになりました。いろいろなご縁が今こうして仕事を続けさせていただくことになったのです。出会いに感謝!縁に深謝です。

2001年 居酒屋喰いしんぼう

2001喰いしんぼう外観
2001喰いしんぼう内観

稲村屋はじまりの地

この頃はメニューやチラシを簡単な内職的に仕事をさせていただいていました。
喰いしんぼうには よくお店がはじまる時間18時前によく出向きお互いのどうでもいい話で盛り上がり お酒はたまにでしたが楽しい時間を過ごせました。この頃の思い出は19時を回った頃になると満席になっていて、常連さんも沢山来ていただきこの界隈の憩いの場なんだなと感じておりました。
左の店内の写真には当時の稲村社長が開店準備をしています。
 
まいど!帽子とエプロンがトレードマークだった 稲村こと、マスター(当時の愛称)です!
この頃はお互い「チャンス」ないかなとよく話したっけなー
 
 
いろいろな情報あつめて常に研究熱心でしたね!
いろんなイベント考えたり楽しかったです!
 
 
いまでは この隣の敷地に 稲村屋 火の口本館が2017年4月にオープンできた!
今一度初心に帰って ここからスタートするぞって気持ちになったよ。

2002年 九州ラーメンおいどん亭

試行錯誤しながらの「おなかいっぱいになれる店」を目指してきた

とんこつラーメン(オリジナル)
昨今濃厚なとんこつラーメンが流行っておりますが、おいどん亭のとんこつラーメンは稲村社長が小さい頃におばあちゃんがおやつ代わりにつくってくれた いわば「家庭の味」をベースに独自のちょっとだけ手を加えた稲村式とんこつラーメン。その味は女性でもスープを飲み干せるあっさりスープですが、味はしっかりしていたので多くのファンや常連客でいっぱいだったのを覚えています。夜間は駐車場にトラックが所狭しと停泊し、夕飯を食べるトラッカーで溢れていました。

ここは小学校の教室?のような店内に改装後のおいどん亭です。

左から2つめ「しょうゆラーメン」3つめ「みそラーメン」4つめ「焼き肉定食」とんこつもいいけれど その他のメニューも大変美味しかったです。ここにはないけどチャーハンが美味しかったので必ずラーメン+チャーハンでした。

ちょっと寄り道

この頃にいわき市平神谷の国道6号線沿いに バー?だったかな ダイナーキューズという名前のちょっと小洒落たお店もやっていて、僕はよく仕事帰りに部下たちをつれて飲みにいってました。ハーレーなど展示していたりとバイク好きにはたまらないお店かな...あまり詳しくはなかったので詳細はナシで...とはいえ とても楽しい時間を過ごせました。

2002年 はいから亭とワールドカップ

J-villageから選手や監督が!


2002年ワールドカップの開催国となった日本ではJ-villageで日本代表や各国の選手団が訪れて練習・合宿等しておりました。はいから亭ではそういった外国の選手や監督、または応援しにきたお客様のために 英語やポルトガル語のメニューを用意したりしました。
その際に監督や選手からたくさんのサインをいただきました。
あのときは僕にとってはいい勉強になりましたし。とても刺激的な時間をすごせました。その他後もワールドカップで盛り上がったり、J-villageを通していろいろなイベントを行ったりしてきましたね。とても楽しくて有意義な時間だったと思います。

2003年〜長崎ちゃんぽん はいから亭

悩むより行動することがピンチをチャンスにできる

2000年当初に飲食店業界を震撼させた「BSE(牛海綿状脳症)」が徐々に日本国内にも猛威をふるってきていたなかで、ハンバーグを続けていくのはどうか?という問題があったのですが、稲村社長はいち早く路線の変更を行いました。
いままで鹿児島発のとんこつラーメンに加えて、長崎ちゃんぽん・皿うどんの二つの新メニューで新たにリニューアルオープンしました。試行錯誤の上この地域ならではの味付けにアレンジしたところ瞬く間に大人気商品となりました。派生してみそちゃんぽん・塩ちゃんぽん 皿うどんは乾麺・生麺と選べたり。私も虜になってしまいました。私はいまでも大手のチェーン店でちゃんぽんは食べますが、正直、はいから亭のちゃんぽんが懐かしく感じます。「うまい!」その一言につきます。また、ちゃんぽんだけではなく以前からビーフカレーが大人気だったこともあり、ビーフカレーもまだまだ大人気でした。

2005年〜2006年 九州ラーメンおいどん亭

2005年度〜ドンブリをリニューアルしてメニューや写真撮影
担々麺も登場して一躍人気メニューになりました。しょうゆもコクがでてみそもオリジナルブレンドがとても絶妙で毎回どれを食べるか迷いました。
おっ!まっちゃん写っているね!
 
は、はずかしい...
馬刺が大人気でした おつまみに最高ですね
 

2007年 いわき市平中神谷 一伍壱家オープン

流行っているならやってみよう!反省はそれからでいい。

ちょうど家系のとんこつが市内で流行って時期に九州ではなく横浜系のお店を出店。これまでとは打って変わって濃厚なとんこつラーメンを提供してみました。
元々、物件の条件や場所的にどうなのかと試験的に短期間運営を目的としてスタートしたので期間は半年ほどでした。近くにもおいしい家系がありましたので競合というよりはせっかく作れるスタッフがいたのでやってみよう!ということで、こちらも良く昼食や夜食?に通ってました。結果的に濃厚=コストが割高ということで、安くて美味しいもの路線を貫いてきた稲村社長の新たな戦略がこの後動き出すのでした。

2007年 長崎ちゃんぽん はいから亭

メニュー更新「焼きラーメン登場」


はいから亭 九州のラーメンシリーズ 焼きラーメン登場!
ちゃんぽん・皿うどんに続いてインパクトのあったメニューでした。僕は九州生まれではないのにどこか懐かしい感じがしました。たぶん焼けたしょうゆの匂いなのでしょう。
ビーフ100%カレーはやはり安くてボリューム満点のチキンカツカレーがNo1でした。

2008年 居酒屋喰いしんぼう

思い出がたくさん詰まってる店なんだなぁ...

2001喰いしんぼう外観
2001喰いしんぼう内観
2001喰いしんぼう外観
 
この頃の喰いしんぼうはゴルフコンペ後に打ち上げやらパーティーやらで夕方明るい時間から営業していたなぁ...と思い出します。
気の合う仲間たちがたくさんいて、稲村社長も毎日クタクタになるまで働いていてお店でそのまま寝ちゃって次の日に行くとまだ寝ていたりして...それが今では遠い日のようです。「今」も「昔」もあるべき姿で一生懸命なんだなぁと思います。

2008年 九州ラーメンおいどん亭

おいどん亭「革新!」夏はピンチだがチャンスだ!

夏でも多くのお客様にご来店いただました。その裏側には今までに決して満足するのではなくて、新しいことに挑戦しながらピンチをチャンスに替えて行くスタンス。これが稲村社長のモチベーションの保ち方?でもさすがに疲れますよね...社長もアイドルタイムに休憩でラーメン(昼食)を食べています。私もごちそうになりますよ。
子どもたちにも人気なお子様ラーメンセット うちの子はこれでラーメンの味を覚えました。
2008年は新しいことにチャレンジした年でした。「現状を満足しちゃいけない、常連がいるからいままでと同じことやっていたのでは客が離れていくよ」そう話した稲村社長は新メニューの創作にとりかかるのでした。その中で大ヒットを生んだのが「赤とこつ」まさに大人の辛さが病み付きになりました。そして「熊本 黒とんこつ」イベントで赤VS黒のとんこつ対決もやりました。ジャージャー麺もピリ辛で美味しく。担々麺ver2(表記は担々麺ですが)となって進化しました。
暑いラーメンだけでは「夏は集客出来ない!」ラーメン店にとって夏は大敵?です。冷たいメニューの開発にも心血をそそぎ、ヒットメニューを生み出しました。左から「赤冷やし(赤とんこつの冷やし版)」冷たくて辛い!これが夏にたまらない!次に「冷やしサラダ麺」「冷やし中華」「ざる中華」をメインに暑い夏のテーブルを飾りました。

2010年 よか宿稲村屋オープン

双葉郡広野町下北迫二ッ沼総合公園総合近くに静かな環境の旅館としてオープンしました。
初めての宿泊事業のはじまりです。


いよいよここから宿泊事業が始まったんだよなー...右も左も分からないスタートだったよ。
大変なのは分かっていたけど「やってみたいなぁ」という気持ちが大きかったし、居酒屋〜ラーメン屋〜定食屋を長いことやってきて何かもっと大きいことしたいなとも考えている中でこの話が舞い込んできて、まくぞう君に「どう思う?やってもいいと思う?」って聞いたんだよな〜。

「いいんじゃないですか!飲食店の経験を活かしたご飯の美味しい宿を目指すとか!」
たしかそんなノリだった気がします。

2010年 居酒屋喰いしんぼう

ワールドカップ2010を応援しよう!

 

あれ、僕がいますな!偽マスター登場!
ワールドカップの月はほぼ毎日イベント観戦していましたね。
勝っても負けても店内は熱い観戦でビールもたくさん出てましたね。
またいつかあの熱い夜を!と思います。
喰いしんぼうはJ-Villege付近でしたのでたくさんの選手や関係者の方もご愛顧いただいていたようです。サインなどよく見かけておりました。
そのためサッカーの試合などがあった際はイベント出店なども行っていました。
スポーツっていいですね。
2011年 春 居酒屋 喰いしんぼうの22年の幕がおり、残念ながら閉店いたしました。
惜しまれながらの閉店となり、ご愛顧頂きました多くの皆様には心より感謝申し上げます。